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沿革

昭和24年4月日本建築史にその名を残した *山田 守氏の発意により東京都文京区湯島の地に第一建築株式会社として創立
戦後の逓信建築施設復旧計画に沿った数々の工事を行い現在の基礎を築く
昭和31年7月現在の地(新宿区四谷)に本社ビルを建設し移転
昭和47年3月名古屋営業所開設
昭和49年10月千葉出張所開設
昭和51年7月仙台営業所開設
昭和53年5月福岡出張所開設
昭和56年5月熊本営業所開設
昭和57年4月名古屋支店に改称
昭和57年4月 仙台支店に改称
昭和62年4月本社新社屋完成
平成3年10月東北支店に改称
平成6年4月熊本支店に改称
平成8年10月福岡営業所に改称
平成11年3月関西支店開設
埼玉営業所開設
山形出張所開設
平成11年4月創立50周年
平成11年3月九州支店に改称
平成12年4月千葉営業所に改称
平成14年4月社名を株式会社 第一ヒューテックに変更
九州支店を福岡に移転・熊本での九州支店を熊本営業所に改称
平成15年5月神奈川営業所開設
平成15年11月山形営業所に改称
平成18年7月東京営業所開設
平成21年4月創立60周年

第一ヒューテックの生みの親
山田 守氏(1894年4月19日~1966年6月13日)について

山田 守氏

山田 守氏

日本のモダニズム建築の先駆けとして名を残した建築家。
東京帝国大学建築学科を卒業後、逓信省に技官として入省し、「東京中央電信局」や「東京逓信病院」などを設計。
退官した後、東海大学の理事に就任、工学部建設工学科に主任教授を兼務する一方、「日本武道館」や「京都タワー」なども設計している。

日本がGHQ(連合国軍総司令部)の間接統治下にあった終戦後の昭和24年、山田氏の発意により、「第一建築株式会社」として創設された。
終戦後、GHQは日本政府にさまざまな指令や勧告をだしたが、そのひとつに通信施設の早急な復旧があった。
政府は、GHQの要求に従って、戦災で壊滅的な打撃を受けた通信施設の復旧計画を策定。
わが社は、その復旧計画に基づく数々の工事を手掛け、現在の基礎を築いた。

その後、各地に営業所や支店など開設して、業容を拡大し、平成14年に現在の「第一ヒューテック」に改称した。

関連リンク:株式会社 山田守建築事務所 http://www.yamada-mamoru.co.jp/

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